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東京高等裁判所 昭和61年(う)718号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人副島洋明作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官清澤義雄作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意中被告人の殺意の存否に関する事実誤認の主張について

所論は、被告人は本件当時平野英司及び西幹健に対する殺意がなかつたものであるのに、原判決が右両名に対する未必の故意が認められるとしたのは、事実を誤認したものであるというのである。

そこで原審記録及び当審事実取調の結果に基づき検討すると、本件は、被告人らが路上でいわゆるマグロと称する介抱盗を敢行した際、これを右平野、西幹ほか二名の大学生らに目撃追跡され、平野及び西幹に取り押えられ警察官派出所に連行されそうになつた被告人が所携の約一〇・五センチメートルの刃先の鋭利な果物ナイフを用いて、平野の胸腹部を突き刺し、そのため同人に心嚢、右心室貫通の深さ約六・三センチメートルに及ぶ左前胸部刺創等を負わせて死亡させ、西幹に対しては胸骨、肋骨、肝左葉を貫通し、胃体上部を刺創する深さ約七センチメートルの胸腹部刺創を負わせたものであるところ、使用した凶器の種類、形状、各傷害の部位、程度、「逃げたい一心で夢中で被害者の腹を狙つて刺した」「こんな刃物で腹を刺せば、刺し処が悪い時には相手が死ぬかもしれないことは判つていた。その点を否認しようとは思わない。」「手加減して刺したのではない」などの被告人の検面調書(昭和六〇年六月二六日付)の供述(この供述は屈強の青年二名から逃がれる際の心理としてよく理解できる。)等の諸点を総合すれば、原判決も正しく説示する如く、本件犯行時、被告人が被害者両名に対し少くとも未必の殺意を有していたことを認めるのを相当とするといわなければならない。

これに対し、(1)所論は、被告人はかねて高血圧、糖尿病等の持病があり、長期服役の影響もあつて体力が衰えていたところ、右犯行当時青年らに追跡され激しい制圧を受け、過度の肉体的疲労消耗のため精神的にも攻撃性を喪失した虚脱状態にあつたので、平野、西幹らに対し、手加減できる余裕はなかつたのに、原判決が、被告人があたかも手加減できるかのように考え、これをもつて被告人に未必の殺意があつたことの一事由としているのは不当であるという。

しかし、なるほど、被告人はかねて所論指摘のような疾病を有し、長期服役したこともあり、本件で井上茂一に対し介抱盗に及んだあと、平野らに約五〇〇メートル余の追跡を受けて取り押えられ、相当疲労していたことは認め得るものの、その後の被告人の行動状況、すなわち被告人は平野によつてつかまれていた右手が自由になるやすぐさま所携のナイフを出して同人を刺し、引き続き左手をつかんでいた西幹にも同様の行為に及び、その直後逃走することにも成功していることに照らすと、被告人の疲労の程度は所論のいうように虚脱状態に陥つたためナイフの刺し方を手加減できないほどのものではなかつたことが明らかであるといわなければならない。

さらに、(2)所論は、被告人の平野に対する刺傷行為は、平野が被告人に″タックル″する(飛びかかつてくる)のと同時になされたものである、またもし被告人が逃げたい一心で刺したとすれば、自己の腕をつかんでいる西幹に対する攻撃を最初になすのが自然である、ともいう。その趣旨は被告人の刺傷行為がさほど攻撃的ではなく未必の故意を推認するにはふさわしくないと主張するものと解されるが、しかし、被告人の検面調書(昭和六〇年六月二〇日付)によれば、被告人は自由になつていた右手を着ていたジャンパーの左内ポケットに入れ、右順手に果物ナイフの柄を握つて内ポケットから抜き取り、その右手を引くと同時に右に体を半回転させ、自己の右側に立つていた平野の腹の上の方をねらつて突き出し、ちようどその折平野が被告人の動きを見てつかまえようとして、前へ踏み込んできたのでナイフが深く刺さつたこと、そのあと被告人はすぐ左をふり向き左腕は西幹につかまれたまま同人の腹をねらつて右ナイフを突き刺した事実を認めることができ、平野に対する刺傷行為が所論のいうような同人からタックルされたことによる受動的なものではなく、攻撃意思に裏づけられた積極的なものであつたと思料され、この経過はむしろ所論に反し、平野、西幹に対する各殺意を認定するに足る事情といわなければならない。(この関係で、所論は、被告人の犯行再現状況を撮影した写真の添付された司法警察員作成の昭和六〇年六月二九日付実況見分調書が被告人の記憶に合致しているか疑問で信憑性が乏しい、というが、被告人の指示説明状況を撮影した写真は、被告人の前記検面調書の供述部分と概ね合致するものであり、両者の間の微細な齟齬はその大筋の信憑性を減殺するものとは思われない。)

論旨は理由がない。

第二控訴趣意中本件犯行直前の状況に関する事実誤認の主張について

所論は、(1)原判決は、被告人が被害者らに追跡制圧された状況につき、「西幹、平野らに追跡され追いつかれて取り押さえられ、路上で尻もちをついた形で両側から西幹に左手首と肩をつかまれ、平野に右手をつかまれて動けない状態となつてしまつた」とのみ認定しているが、これは被害者らの被告人に対する激しい制圧行為をことさら避けた認定である、(2)原判決は、被告人が平野らに「もう逃げないからという言葉を発したことにつき、被害者らを安心させるための欺罔的言辞であるとするが、これはそうではなくて被害者らの激しい制圧行為を免れるための許しを求める言葉であつた、として、いずれも事実誤認に当たると主張する。

しかしながら、右(1)の点については、原判決の右判示は、平野らの被告人に対する制圧行為を本件犯行に至る経過として過不足なく記載しているとみることができ、罪となるべき事実の記載としてそれ以上の記載を要求すべき根拠はなく、かつこの記載に何ら不当とすべき点はないから、事実誤認と論難することは当たらないというべきである。また右(2)の点については、平野らに取り押えられた前後一連の被告人の行動自体に照らすと、被告人がその際逃走する念を全く棄てていたとは到底思料しがたく、平野らの制圧行為によつて一面では観念するような気持も生じたものの、機あらば逃走したいという気持は終始強く存したとみるべく、従つて「もう逃げないから」との言辞には被告人が平野らを安心させる意もあつたと考えられるから、この旨の原判決の説示に事実誤認のかどはないというべきである。

いずれにしても右(1)(2)は判決に影響を及ぼすべき事実誤認の主張ともいい難いものであつて、論旨は理由がない。

第三控訴趣意中被告人の責任能力の有無、程度に関する事実誤認の主張について

所論は、本件犯行当時被告人は過剰な疲労と緊張下での興奮状態に伴う「精神神経発作」によつて心神喪失若しくは心神耗弱の状態にあつたと主張し、原判決はこれを看過して被告人に完全責任能力を認めている点で事実誤認をおかしているというのである。

しかしながら、被告人の捜査官に対する供述は詳細で関係証拠とも概ね符合しており、この点から推せば被告人は本件犯行につき比較的清明な記憶を有していたとみられること、本件犯行は計画的なマグロ行為に引き続くもので、被害者らを殺傷した動機は自己の犯罪行為を目撃追跡された以上逮捕投獄は必至であるとの思いをめぐらし(この間の心理状態を被告人は「シャバに出て一か月ちよつとで刑務所に戻されるのはかなわない。前刑の時も今度も共犯者のうちで私一人が捕まえられるのは間尺があわない。」と述べる。前掲六月二〇日付検面調書)、これから免れようとしたという、それなりに了解可能なものであること、被害者らを刺突後直ちに逃走し、逃走中に凶行に用いたナイフを捨てて証拠隠滅をはかる所為に及ぶなど臨機の対応をなしていることなどを総合勘案すると、被告人が平素高血圧、不眠の症状のため精神安定剤、睡眠薬等を服用しており、本件犯行前約五〇〇メートル疾走したため相当疲弊していたことは所論指摘のとおりであつたにしても、所論のいうような「精神神経発作」の状況にあつたとは到底認められず、従つて本件犯行当時、被告人が責任能力を欠き又はこれが著しく減弱していたとの所論は採用できないものといわなければならない。

第四控訴趣意中量刑不当の主張について

所論は原判決が被告人を無期懲役の刑に処したのは重きに過ぎて不当であると主張する。

そこで検討するに、本件は、俗にマグロと称される狡猾な介抱を装つた窃盗行為を目撃された被告人が大学生ら四名の追跡を受け連行されそうになるや、逮捕受刑を免れようとして所携のナイフで学生一名を殺害し、他の一名に全治二か月の重傷を負わせたという凶悪重大な事犯である。その犯行の動機は浅慮かつ無法きわまりないものであるが、被告人は過去に強盗致傷等の前科一四犯を有する者であつて、本件犯行後捜査段階までの態度にはほとんど反省らしきものが見受けられず、被告人の犯罪への傾斜傾向は頗る顕著なものがあると断ぜざるを得ないと思われる。従つて、これらの点、及びその他被害者や遺族の被害感情、さらには本件が「勇気ある大学生」に対する刺殺事件として社会的反響を呼んだ点等をも総合し、原判決が詳細な説明を付して被告人を無期懲役の刑に処したのは十分是認できるところである。もとより、原判決は被告人の反省の情等被告人に有利な諸事情にも配意しており、決して右量刑が重きに失するということはできない。

これに対し、所論は、第一に、被告人の本件犯行は被害者らが体力の劣る被告人に対し、激しい制圧を加えた結果にも起因するという。

しかし、平野、西幹両名が被告人を取り押える過程で被告人を振り回し、押えつけ、羽交い締めにしたことはうかがえるにしても、これは全力を振つて逃走する犯人を制圧し、警察官派出所に連行する手段として必要な限度内のやむを得ない行為であつたとみて何ら妨げない。むしろ、死亡した平野は、被告人が「もう逃げないから。」と無抵抗の意思を表明するや、直ちに被告人をつかんでいた手を離したため、不幸にも被告人のナイフの犠牲となつたもので、このような情況に照らせば、平野・西幹らの行為にゆきすぎがあつたとか無謀なものであつたとか評することはおよそ失当である。

次に所論は、原判決が、「本件が勇気ある大学生刺殺事件として報道機関により大きく報道され、その社会的反響も著しいものがあつた」とした点をとらえ、本件犯行は結果的には重大であつたが、ありふれた事後強盗の事案であり、被告人がその行為と結果以上に見せしめとしての重罰を科せられるべきではないとも論ずる。

しかし、本件における被害者たる平野、西幹らの行為は、原判決もいうように、目前の反社会的行為に対し、ともすれば傍観主義・事なかれ主義に陥り易い昨今の風潮の中で、青年らしい正義感から敢然として立ち向い、その結果被告人の凶刃に遭い、理不尽にも一名は斃れ一名は傷ついたというものである。このような稀にみる衝撃的な出来事に接し、一般市民が被害者両名の行動を称賛するとともに、加害行為を強く非難する心情となるのは、けだしもつともであり、報道機関が本件をこの立場において特色づけて報道し、多大の社会的反響を呼ぶに至つたことは故なしとしないことであつたと思料される。そして、裁判における量刑判断をなすに当たつても、このような社会的反響、なかんずく健全な市民感情を考慮することは法秩序の維持ないし一般予防の観点から必要なことと考えられる。もちろん、不当にこれを重視し、いわゆる「見せしめ」的意義に堕してならないことは刑の適用における責任主義の見地から当然であつて、所論指摘をまつまでもないことであるが、原判決は被告人に対し無期懲役刑を選択するについては広く諸般の事情に目を向けつつ、前叙の本件の社会的反響もその事情の一として斟酌する態度をとつていることはその判文上十分看取できるところである。所論は一面的な主張にとどまるものといわざるを得ない。

論旨は理由がない。

第五結論

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官萩原太郎 裁判官小林充 裁判官奥田 保)

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